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2020/07/24 CDバカ

今さら言うまでもないが、すっかりCDバカになっちまった。・・というか、これも時代の流れでしかたなく、バカにさせられた。ぎっしり詰まったCD棚を眺めてそうつくづく思うのだが、バカになったのはいったいいつ頃からだった? それまでのLPレコードに比べ、高音がやたら突っ張ってトゲトゲしくクールで、どうにも我慢がならず、あれほどうんざりしていたのに・・。きっとNECのプレーヤーから、パイオニアのいくぶん柔らかい音のするプレーヤーへと買い替えたあたりからだったろうが、これも、「ハイビット・レガートリンク・・」技術によるおかげか。他のDVDとかにはほとんど目もくれず、ひたすらCDのみを買い続け、・・現在のCDバカに至ったわけだが、しかしまた、ものすごく便利な世の中になったものだ。

それはそうと、世の中には「YouTube」という、これまたものすごく便利なアプリがあるわけだけど、とにかく今の若者ならどなたもご存知、

きゃりーぱみゅぱみゅの、曲は《にんじゃりばんばん》!

世代を超えて大人気の、僕らのような、ファンでも何でもないヤカラでも、つい、ばんばん!ノリたくなってしまいそうな、そんなめっちゃおもしろい曲だったりするのだが、2013年に出たこのヒット曲を、時代遅れもはなはだしく今頃になってYouTube見てめっちゃおもしろがっているのは、案外、僕だけかもしれない。ほかにもきゃりーぱみゅぱみゅくんの、めっちゃノリのいい曲がワンサカあったようなのだが、今のところ《にんじゃりばんばん》が、やっぱ一番かな。・・と、いい気なもんだが、しかしである。
タブレットでコソコソのぞき見するくらいが関の山で、仮に、年甲斐もなく今さらきゃりーぱみゅぱみゅくんのCD買って、でかいオーディオ装置で、しかも開けっぴろげにばんばん!鳴らしまくるってのもどうかしていると思うのだが・・。何せ、僕らアイドルポップ河合奈保子らとは、およそ40年もの開きがあって、おそらく年も何もかもそうとう離れている。だからどうした、と言われればそれまでだけど、とにかく時代が離れすぎているし、所詮デジタルとアナログとの差で、当然音質だって違ってくるだろう。それに、低音をただボコボコ鳴らせばいいってもんじゃない。憧れの協働社レコード売り場のサウンドを再現するのとは、ちーとわけが違うのだ。
‥と言いながらも、実は《にんじゃりばんばん》がさかんにヒットした頃、民放ラジオでこっそり2度ほど聴いているのだが、特に、今時のガチャガチャした煙たいイメージでは全然なかったし、憧れの協働社もクソもないもので、音がどうのこうのという前にめっちゃノリノリのきゃりーぱみゅぱみゅくんだけに、まったく別物の音楽のようにも思えた。
しかし今時のJ・POPは、・・もちろんぱみゅぱみゅくんを除いてだけど、とにかく自分の耳に合わないというか、ラジオでいつもサラッと聞き流すだけでほとんど聴いていない。・・悪しからず。
そんなことより、何より河合奈保子のCDが欲しいと思いながらも、いろいろ音質とかの問題もあって2度ほど買いそびれてしまった。手もとにある、わりとよく鳴らすドーナツ盤だけでは頼りなく、針先の摩耗とかどうにも心配でしょうがなかったから。


2020/07/26 ひょっとして宇宙人!?

現存の、テクニクス「SB−X01」+ ヤマハ「AX−596」で、一応、憧れの協働社レコード売り場の音など、かろうじて再現できた気配はするものの、何せ小型スピーカーなので、低音はいたってふくよかで文句なしなのだが、高音の繊細さ不足とかまだちょっとした不満があって、・・やー、まったく悩ましい。これが、もうちょっと大きなスピーカーだったらなぁ、と。
そんななか、いつかBSの歌番組でのゲスト紹介のとき、バックにも現れていた、あの真っ白いウーファーのひときわ目立って何とも美しいヤマハのスピーカーである超ロングセラー「NS−10M」こそ、いかにもいい音がしそうで、協働社レコード売り場の再現に持って来いのスピーカーなのではないかと、ない頭をしぼって、ついつい考え伏せってしまうのだが、しかし、早まってはいけない。
ひとくちに「NS−10M」と言っても、他に「PRO」だの、「T」だのと、後に余計なのがくっついてからに、なんだかんだとわけわからないものまでいろいろ種類があるらしい。まったく困ったもので、軽々しく、おいそれと買えるものでなし。わけて、おかしな音だったり、あわや似て非なる音で、かん高かくてどうにもこうにも鳴らなかったりしたらどうする、おい!? 僕のお気に入りの「楽しいB級趣味」サイトでも、

『・・ハイ上がりの硬いボーカルは繊細で余計な肉付けも無く、メリハリも有りますが低音が不足している分さらに高域が目立ち冷たい感じがします、』

・・とのことだったから、よっぽど冷たい音がするらしい。また、さらに手持ちの、明るさ一点張り?の「NS−1000MM」と何ら変わらない音だったらそれこそ何のために求めたか、わからないではないか。

ところで前回の、めっちゃノリノリの、ファッションモデルでもあるきゃりーぱみゅぱみゅくんだけど、ヤツはいったい何人だ? 西東京生まれと聞くが、正式名は、「きゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ」と、日本人にしてはまたずいぶん長くてややこしい、めっちゃ変わったお名まえだこと!! ご自身を商品に見立て、めっちゃ豪華に着飾っておられるのはまことに結構なことだけど、何も、本名まで包み隠さなくてもいいのではないか、と。まさかこれ本名じゃあるまい。あるいはハーフとか・・・ひょっとしたら宇宙人かも!? それと、あまりにもオオヤケ化しすぎちゃって、御高くて、すでに雲の上の人!?なので僕なんかめっぽう近寄りがたかったりするのだけれど、その特異な風貌からしても本当に得体の知れない、数少ないカリスマ的ミュージシャンのひとり!なのではないかと察するのだが、いかがなものか。
そんなぱみゅぱみゅくんの大ヒット作で、僕のイチオシ!でもある《にんじゃりばんばん》は、まさしく忍者めいた非常にノリのいいおもしろい曲だと思うが、・・自分がいかにCDバカとはいえ、実際バカかもしれないが、バカのふりして、総合240Wものバカでっかい出力アンプのこれまたバカでっかい音量で・・さっきからバカバカとバカばっかりで恐縮だけど、80年代の女性アイドルならまだいざ知らず、ましてや今時ぱみゅぱみゅくんの曲なんぞ、とにかくバカみたいにばんばん!鳴らすわけにいかないし、そんな勇気も今のところ、まだない。ベートーヴェンの《運命》にしてもそうだが、あまりにも有名になりすぎて、今さら「♪ジャジャジャジャーン」でもあるまい。陰でコソコソ聴く以外、だいたい恥ずかしくてとても人前でなんか聴けた道理ではござらぬ。

しかしまた、先ごろ聴いたNHK−FMでの西城秀樹の特集番組は非常に良かった。本当に感動的だった。中でも《ブルースカイブルー》は、特に協働社でかかっていたわけではないけれど、協働社のあの独特のニオイというか、空気感がまざまざと伝わってきて、まさしく感慨無量!といった気分。やっぱハイ上がり気味のヤマハではどうしても無理で、ここは少々こもりがちでも、現存の、協働社そっくりのシステム群だからこそ出せる芸当なのだ、と。そう自分に言い聞かせたい。そしてまた、例のあの感動をなんとか長続きさせたいと願いつつ、この歌手だったら何ら問題なく、CD買って聴き込むにやぶさかでない、と。そうあらためて考え直したしだいでござる。


2021/03/28 ピンクレディー

この間の話で誠に恐縮だが、NHKーFMでピンクレディーの特集を聴いた。もちろんファンでも何でもなかったが、中でも《ウォンテッド》でのケイちゃんの濁声がなんとも傑作!って、そういう問題でももちろんなく、ただサウンド的に70年代後半のヒット曲として、かつての協働社レコード売り場とも深く関わっているので、前日はキャンディーズの特集だったが、これはちょっと聴き逃すわけにいかなかった。カセットテープにも一応録ってあるが、あいにくデッキの調子がイマイチ。ピンクレディーの曲は、協働社でも実は一度だけ聴いた覚えがあるが、おそらくB面の曲だったのだろう、曲名はわからなかった。とにかくバランス良く、・・いや、自分のステレオがあまりにお粗末だったため、たとえわるくても余計に、良い!と感じてしまったのかもしれないが、低音は柔らかく、ボーカルはきわめて控え目で、全然刺激少ない感じで余裕で流れていたのを思い出す。
実際に聴いたところ、タカが小型のテクニクス「SB−X01」といえども、一応いかにも憧れの協働社らしくカッコよく響いてきたと思えるので、今はそんなに不満はないが、ただ、協働社デパートの場合、そうとうの広さだったので、反響しない音に加え、そうとうの大音量で鳴っていたのではないか、と。今さらながら考えてしまうのだが、協働社もいろいろとまだまだ謎は尽きないし、ひょっとしたら僕の勘違いなのかもしれない。


2021/04/01 矢沢永吉

またもこの間の話で恐縮だが、NHKーFMで「歌謡スクランブル」を聴いた。70年代後半のヒット曲ワンサカで本当に嬉しい限りだったのだが、やはり協働社レコード売り場のステレオサウンドと少しずつ違っていて、ちょっとガックリきてしまった。中でも五十嵐浩晃《ペガサスの朝》なんかは、音のちょっとした違いに、いつもながら悩まされるのだが、協働社よりもいくぶん低音柔らかく、これはG・イコライザーを使わない限り、協働社での、あのメタリックでめっちゃ硬い低音はとうてい臨めないのだ、と。またあらためて思い知ったしだい。
もっとも、めっちゃ硬い低音ならG・イコライザーでも、もうすでに再現済みなのだし、なにもめっちゃ硬い低音でなくても別にいいのだけれど、やっぱ《ペガサスの朝》に限って何がなんでも憧れだった協働社と同じく、めっちゃ硬い低音か、もしくはそっくりに鳴らないとどうにも気が済まない。松山千春《長い夜》も、高音がもう少し繊細だった気がするし・・。でもまぁ、めっちゃ硬い低音はさすがに無理でも、テクニクス「SB−X01」で、いかにも小型ながら堂々とこれだけ鳴らせたら十分だろうなぁ、と。これもオトキチの証拠なのかもしれないけれど、かつて誠にお粗末だった自分のステレオで、もちろんめっちゃ硬い低音どころの沙汰でなく、低音のまったく出ないスピーカーにあれだけさんざん悩み苦しめられたのだから、オトキチになっちまうのも本当に無理もない話。

しかし、そうこうして耳を傾けていると、なんと、十分聴き馴染んだはずの、最後の矢沢永吉《時間よ止まれ》で、フラットへと戻しつつ、いきなりボリュームを上げたくなって、ついには、大音響再生! それでもって何やらゾクゾクっときて、もはや、めっちゃ硬い低音もクソもあったもんじゃないといった、めっちゃ喧しい状況なのだが、しかし、・・画学生の頃、音に不満を抱きながら何とは無しに、ただぼんやりと聴き過ごしていたこのドーナツ盤、なにせ今は反っちゃって!って、もとから反っていたのだが、どうやらこの《時間よ止まれ》ドーナツ盤購入後、帰りのバス内でのヒーターが、反りの原因だったらしく、同時に入手した(今となってはとても貴重かもしれない)榊千代恵《あなたの胸に》は、かろうじて無事だった。いずれドーナツ盤の調子イマイチで、プカプカと針飛びしそうで怖くてとても聴けたものではない。

♪汗をかいた グラスの 冷えたジン より・・・

FMで久々にこの曲を聴いて、かつてのそういう「時間よ止まれ!」と叫びたくなるような居心地良い瞬間が僕自身にもまったくなかったわけではないのだが、過去の自分とオーバーラップさせながらも感慨にひたって、胸のあたりが抉れるくらいにマジにエキサイトしてしまった! 当時は、とにかく協働社レコード売り場のことしか頭になく、もちろん冷えたジンもクソもなくいい音出すことだけに夢中で、ただのオトキチだった?のだからどうしようもないのだけれど、やー、詩の内容が今頃になってわかって、これほどまでにジーン!ときてしまうとは!? なんか酷くもったいない聴き方してたんだなぁ、と。ふり返りながら深く反省してしまったしだいである。


2021/05/21 由紀さおり

NHKーFMで由紀さおりの特集を聴いた。うちのものに言わせると、「鼻くそコジキ」とかなんとか!?まったく冗談がキツく、ろくなこと申さぬのだが、それはともかくとして、由紀さおりといえば今から半世紀近く前の、おそらく最初で最後の、秋田県立体育館での夕べのコンサートを思い出す。
僕がちょうど中学生の時、入場料が1人たった200円と、バカに安かったのを覚えているのだが、一緒に居合わせた歌手がまた超豪華な顔ぶれで、当時大人気で一世を風靡した天地真理と沢田研二、それにタレントで俳優の沖 雅也であった。観客ももちろん超満員のさなか、沖 雅也はというと、これまた人気絶頂のさなかで、きっと緊張していたのだろう、白っぽいスーツなど着てビシッと決めてきたつもりらしいが、あたかも猫かぶったような?相当かしこまったご様子で、オマケに髪を短く切ったくらいにしてから何だかわけのわからない歌もそれなりに歌われていたようだけど、テレビドラマ「小さな恋のものがたり」での印象とだいぶ違っていたのがどうにもチグハグで、僕なんか思わず呆気にとられてしまったし、ジュリーこと沢田研二は、その時《死んでもいい》を熱唱したわけだけど、自分の席が最上段の奥のほうだったにもかかわらず、絶叫ともいうべき観客らの声援がまたメッチャクチャやかましかったこと!!あまりのやかましさでジュリーの歌などまったく聴けたものではなく、さすがに元ザ・タイガースというだけあって、もー、ただただ凄まじかったのを覚えている。しかし、そんなメッチャクチャの中で僕がいちばん感激したのは、

♪むらさき淡い りんどうは・・・

少しはファンでもあった天地真理を押しのけ、意外にも、由紀さおりの《りんどうの花》だった。決してメッチャクチャなんかじゃなく、唯一、しんみり聴けた曲だったから。
FMでは残念ながら聴けなかったが、コンサート会場特有の切迫した空気!とでもいうのだろうか。とにかく声量の豊かさに加え、何より由紀さおりの切実なる訴えかけがただならず、会場いっぱいに響き渡るその透きとおったような歌声にうっとり酔いしれてしまうのだった。
それと、由紀さおりといえば、なんたって協働社レコード売り場でもかかっていたポールモーリアのカバー曲でもあった《悲しい悪魔》も、別の意味で非常に感動的サウンド(だったのかどうか?)、これがまた入手困難で、レコードもテープもあいにく手もとには、無い。しかし、あれほど超人気だった天地真理とはいえ、確かに、コンサートで《虹をわたって》を歌って観客らをメッチャ興奮の渦に巻き込んだはずだったが、どうしたものか、僕自身は・・あまり記憶にない。


2021/08/12 太田裕美

先日、NHKーFMで歌謡スクランブル「筒美京平の世界」を聴いた。特に2日目が良かった。まさしく、自分がもっともオーディオにのめり込んでいた70年代後半から80年代初頭にかけての、中でも、初めて聴くオリエンタル・エクスプレス《セクシー・バス・ストップ》のベースとパーカッションの響きがすこぶる豪快でたまらなく感動的だったし、それと、なんと言っても太田裕美の《木綿のハンカチーフ》、

♪ねえ 涙拭く木綿の・・・

毎回毎回ジワ〜っときて、何度、目がしらを熱くしたことか!? NHKさんはとても親切だったからして僕の願いなら何でも聞いてくれそうなので、「たまには違う曲流せよ」、って言いたくなるのだけれど、サウンド的には低音イマイチの、この《木綿のハンカチーフ》、太田裕美といえばこの曲がすっかり定番となっているらしいので、今は何も言うまい。「矢沢永吉」のページでも同じようなことを書いたが、実は、なんと、この《木綿のハンカチーフ》がこんなにも悲しく、泣けてくる曲だったとは!? ほんの数年前まで、僕はまったく知らずにいたのである。
顧みれば、ラジカセで《夕焼け》を耳にし、もちろんエアチェックもしたが、そのまばゆくも愛らしい歌声にメチャメチャしびれてしまってからというもの、めっぽう太田裕美の虜になってしまったわけだけど、ちょうど画学生1年目の時だったが、行きつけの例の協働社デパートのレコード売り場から、晴れて「THE BEST 太田裕美」のLPレコードを購入するも、その夜、辺りがシーンと寝静まると、ヘッドフォンで、とにかく無我夢中で聴きまくった。まだまだウブだった僕は、太田裕美のセクシーヴォイスともいうべき高音の魅力にメチャメチャとりつかれてしまったのは確かだけど、その頃はまだ木綿のハンカチも風呂敷もクソもなく、歌詞の内容なんかもまったく知る由もなく、ただ、なぜかしら全然いい音がしなくて、しゃくでしゃくでしゃくでしゃくで仕方なく、もはや木綿のハンカチどころではなかった。
何度も書いたが、パイオニアの「PROJECTー700」システムコンポ購入時、きっと電気屋の、アンプとスピーカーの接続ミスが原因だったのだろうけれど、低音も高音も出ないラジカセみたいな自分の貧弱なステレオに対するは、協働社レコード売り場のめっちゃブライトな重低音の、もー、ただただ凄まじかったこと? ・・いや、パイオニアのおんぼろスピーカー「CS−610(?)」から醸し出されためっちゃブライトな重低音が、たまたま素晴らしく聴こえただけなのかもしれないけれど、それでも、バランス的にもきわめて良好だったみたいだし、めっちゃブライトな重低音がどれだけまぶしく衝撃的だったか?である。
幸いにも、テクニクス「SB−X01」スピーカーでもって、めっちゃブライトな重低音に程近いサウンドでどうにか聴けるようになった今となっては、協働社のめっちゃブライトな重低音に憧れ、来る日も来る日もサウンド作りにめっちゃ明け暮れた!なんて、そんな経緯があったとは、よもや忘れてしまいそうだけど、そんなことをよそに、今《木綿のハンカチーフ》を聴くと、とたんに泣けてきてしまって、・・逆に、めっちゃブライトな重低音もクソもあったもんじゃない、って言いたくなる。


2021/09/07 桜田淳子

NHKーFMで歌謡スクランブル「青春グラフィティー」を聴いた。サウンド的にはまったく申し分なかったのだが、歌がどうにも古くさいというか、誰のとは言わないけど、とにかく臭かった。今時のぱみゅぱみゅくんらと比べてもしかたないのだけれど、なにせ自分がマジでスター歌手にめちゃくちゃ夢中だった頃の、また、憧れの協働社レコード売り場とまだ直接関わってこない時代で、中でも、桜田淳子《はじめての出来事》は本当に懐かしくて、ちょうど新居に移る前だったが、薄暗い四畳半の部屋で、これはラジカセに録って何度も繰り返し鳴らした。今となってちょっと悔やまれるのは、って、今となってはどうでもいいことだが、桜田淳子のヒット曲を何とかエアチェックしようとして幾度となく失敗を繰り返しちまったこと。ある時、特集をやっていて、なぜか《わたしの青い鳥》だけが録れなくて。なぜ録れなかったのかは・・よく覚えていない。初期のヒット曲は、結局、かろうじてほぼすべてテープに収めた気配だったが、ちなみに、唯一手もとにある《天使も夢見る》のドーナツ盤は、むしろB面の《足長おじさん》が聴きたくて、だいぶ後に、やむなく中古を購入したしだい。
それと《三色すみれ》には、ふたつのバージョンがあるのをご存知だろうか? 桜田淳子本人に聞けばいっぺんにわかるんだろうけれど、ネットでも調べたのだが、まったく出てこなくて。やー、まいった! シングル盤が出る前に、全然違った、より子供っぽい感じの《三色すみれ》を、自分もエアチェックしたので間違いないのだけれど、新しいのが出たので思わず消去してしまったが、こうなりゃ消去なんかせず、保存しておけばよかった、と。つくづく後悔している。
その後の麻丘めぐみの特集もまたきわめて懐かしく、《芽生え》は、我が家にもドーナツ盤があって、妹が麻丘めぐみのファンだったかどうかは知らないが、よくマネして歌っていて、それもまた薄暗い四畳半で携帯のレコードプレーヤーでよく鳴らしたものだが、やがて本格的ステレオを購入したのち、確か、低音も高音もめでたく普通並みに出てきた後だったが、低音高音はもとより、エコーかかったその歌声とサウンドのあまりの素晴らしさにうっとり酔いしれたのだった。

ところで、NHKーFMの「かけクラ」でも流れていたR・コルサコフの交響組曲《シェエラザード》、巷では賛否両論で好みが分かれるチョン・ミョンフン指揮/バスティーユ管のCDで、再び聴いてみた。
いつかFMで聴いたオザワ/シカゴ響も、わりと速いテンポで小さな音も拾えてわるくなかったようだし、カセットテープでも時々鳴らしたFMでのコンドラシンも確かに懐かしかったし、たいへんお気に入りの曲なのだけど、・・自分も気短なほうだからか知らないけれど、やっぱチョン・Mのこれくらいの速さでないと。というか、はじめて聴いたときは、妙に軽くてちょっと違和感あったはずなのが、このチョン・M盤の速いテンポに慣れてしまうと、不思議と、何よりエコーかかった響きが良いのか、この曲特有の何とも言えない雰囲気が漂ってくるし、この速いテンポのほうがかえって普通に聴けるようになるから、どれがベストか!?なんてまったくわからない。しかし、さすがに「クラシック不滅の名盤800」書に載せられただけのことはある!と、しみじみ痛感した。


2021/09/09 松田聖子vs.河合奈保子

ここでまた過去を振り返ってゴチャゴチャ綴るのも、なんか野暮かな!?と思ったけれど、敢えて書いてみる。
そんなわけで、今日もまたNHKーFMで歌謡スクランブル「青春グラフィティー(3)」を聴いた。昨日のような臭さも全然なくて、って、まだ少しは臭いのもあったが、サウンド的には、憧れの協働社レコード売り場と深く関わった時代でもあるので、絶対に聴き逃すものか!との思いで、天井のテクニクス「SB−X01」で、もちろん特殊ラウドネスをかけ、・・ただ、協働社レコード売り場を再現するには、特殊ラウドネスだけではやっぱどうにも低音不足だったが、しかし、とても興味深く聴けた。

1曲目の松田聖子《風は秋色》は、手もとにドーナツ盤があるが、むしろB面の《Eighteen》のほうがすごくお気に入りで、たまに聴いている。この曲もやはりB面ながらかなりヒットした記憶があり、実は、TVでひと目見るなり、松田聖子の《Eighteen》歌う、そのあどけない風貌の魅力にとりつかれ、写真集まで買って、あわや永遠のファンになりかけた時があったのだが、《白いパラソル》あたりからだっただろうか? 何やら整形されたらしく、なんか感じが妙に違ってきて、・・徐々にではあるが、妙にシラケていったのだった。はじめ、あれほどぶりっ子ぶりっ子していたはずが、ついに、化けの皮が剥がれたかのごとく、今では、本当に同一人とは思えないくらいにすっかり変わり果ててしまったが、今も時々聴くのは、協働社レコード売り場でもかかっていた《制服》くらいのものか!? もっとも、ドーナツ盤は《風は秋色/Eighteen》と、《赤いスイートピー/制服》の2枚しか持たないのだけれど・・。ほかにも何曲かエアチェックしたが、何の惜しげもなく、すでに消去してしまった。

その点、松田聖子のちょうど対抗馬?にあった河合奈保子は、自分の中でもわりと長続きしているほうで、ファンだったというより、サウンド的に協働社レコード売り場とも深く関わっていて、別に協働社レコード売り場で鳴っていたわけではないけれど、NHKーFMでの《ラブレター》はもちろん、って、これもむしろB面の《No.No.Boy》が聴きたくて、つい最近、ドーナツ盤欲しさに、探して、探して、ようやっと入手できたものなのだが、特にういういしかった頃の、歌はもちろん、はじけるようなまばゆいサウンドがすごく好きで、初期のドーナツ盤はすべて買い集め、いまだ時々聴いている。いずれ、どんなサウンドだったのやら!?協働社で聴けなかったのが非常に残念ではあったのだが、気を取り直し、あらためて河合奈保子のドーナツ盤を数枚取り出し、聴いてみる。・・・
特殊ラウドネスだけでは、やはり物足りず、重低音がかぶるくらいでないと、協働社レコード売り場のあの強烈なサウンドにはとても追いつけない。というので、低音をわずかに、スピーカーが壊れない程度に増強し、鳴らしたが・・今度こそ見事、協働社そっくり! たとえ小型スピーカーでも文句なく十分に鳴ってきた。空から降ってくるようなサウンド・シャワーに、今日も思う存分、浸った。


2021/09/11 ゆうゆのソロ・アルバム

従来のLPレコードからCDへと時代が変わって、かなり久しい今日この頃、そんなすこぶる便利なCDも、今では、ネット配信やスマホの普及で行きつけのCDショップもどんどん潰れてしまうし、めっぽう廃れ気味だと聞くけれど、実際はどうなんだろうか? 今日は、CD・・いわゆるコンパクトディスクについて、僕なりに少し述べてみたいと思う。それまでのLPレコードに比べ、吹けば飛ぶような、いかほど便利なCDか?と思いきや、・・詳しくはまた、のち程。まず、再び注目したいのは、おニャン子ファンならどなたもよくご存知の、ゆうゆ、こと、国民的アイドル・スター岩井由紀子。
ある時、確か、とあるデパートの食堂で《−3°C》が流れてきて、・・

おっ、ゆうゆだ!ずいぶんおかしな曲だなぁ!?

と思っていると、妹が真向いで、「新田恵利?」と呟くも、その時、僕はその歌に、ぞっこん惚れ込んでしまうのだが、FMラジオだったか、「夕やけニャンニャン」のTV番組だったか、この歌をすでに、おぼろげにどこかで聴いて知っていて、ゆうゆもマンザラ嫌いでもなかったし、わりと小柄な女性がタイプだった僕は、それからというもの、すっかりゆうゆのファンになっちまって、さっそく《−3°C》のドーナツ盤レコードを買い求め、中には、ついに買いそびれた《星空のギャングスター》なんかもあったが、CDソロ・アルバムもすこぶる高価ながら、一応4巻全部、そろえた。
ファン歴もかなり長いこと続いたが、そんな夢中だったゆうゆのCDも、今はまったく聴かなくなって棚の奥のほうにしまい込んである。もっとも、さんざん聴き飽きてどうでもよくなったガラクタCDを手前に置き、高価なヤツとか、わりと大事なのを奥のほうに押し込むクセがあって、とにかくプラケースの破損を避けたいためでもあった。

それはそうと、問題はそのCDの音なのだが、ソロ・アルバムを購入したのが、媒体がレコードからCDへと移り変わった、ちょうどCDが出始めた頃で、ましてや、NECプレーヤーの、これまた出始めの頃で、非常に冷たくとげとげしい限りのギザギザした音質で聴いたものだから、なおさら具合がわるかった。
そういえば、初めのうち、オーディオ装置をアトリエに仕掛け、油が飛び散るとヤバイので、スピーカーに分厚い布をかぶせ、聴いていたのだが、ギザギザした音に変わりはなかったものの、それでも、2KHzより上がガクンと落ちて、より音が丸くなった感じで、CD鳴らすのにもたいへん都合がよかった。
なので、CDの音も結構わるくないもんだなぁ、と思って喜んでいたのだが、しばらくして、オーディオ装置を洋室へと移動し、スピーカーを、小型のテクニクス「SB−X01」に変えたあたりからだっただろうか!? 良く言えば個性的ともいえる、やたらめっちゃ綺麗な音?だったのだが、CDの音って、皆、こんなギザギザした聴きづらい音なのか??と。ファースト・アルバムでの《?3°C》はもちろんのこと、別ジャンルのフュージョンがまた特に酷かった! なんともはや、例の『TV-CFヒットジャズ・フュージョン篇』アルバムでのタイガー大越のトランペットが、ヤケに、キーキー? 否応なく耳に響いてきて、喧しいったらありゃしない。クラシックもそんなギザギザした傾向にあったのだが、ギザギザして、やたらめっちゃ綺麗な音?に、つくづく嫌気がさし、もー、ただただうんざりしてしまったのである。が、しかし・・・

のちに、プレーヤーをパイオニアに買い替えたり、他のJ−POPアーティスト(ほぼ昭和歌謡)のCDを買い求めていくうち、なんと、ゆうゆのソロ・アルバムだけが異常でほとんど特別だったのだ、と。だいぶ後になって気づかされたのだった。
一方、ソロ・アルバムの後に出た、岩井由紀子と高井麻巳子とのデュオの「うしろゆびさされ組・ベスト」CDアルバムは、手持ちの《かしこ》ドーナツ盤レコードより、わずかながら繊細さに欠けるものの、ギザギザした音とはまったく無縁で、さほど問題もなく、クラシックやジャズ・フュージョンはもとより、今もたいへん機嫌よく時々聴いているのだけど、どうしたものか、ゆうゆのソロ・アルバムだけが、たとえプレーヤーを変えても相変らず高音が多めで、やたらめっちゃ綺麗な音?ともいえるのだが、しかし、レコード会社が同じ「キャニオン・レコード(ポニー・キャニオン)」でも、なぜにまたこうも音質に差が出てきてしまうんだろうか!?と。ちょっと不思議な気もした。
なんか知らないけれど、僕が勝手に察するところ、4枚のソロ・アルバムが、はじめからデジタル仕様なのに対し、「うしろゆびさされ組・ベスト」は、きっと、もともとがアナログ仕立てだったものを、デジタルに置き換えただけのものだと考えると、ギザギザした音とまったく無縁なのも、何となくわかる気がするし、当然といえば当然なのだろう。ひょっとしたら、CDに変わったばかりの「ポニー・キャニオン」の音質にちょっと問題があったのかもしれない。

・・ってわけで、試しに、やたらめっちゃ綺麗な音?のする、ゆうゆのセカンド・アルバム「いやっ!」で、かつての協働社レコード売り場のステレオサウンドを再現しようとしたけれど、やはり高音が出過ぎるために低音が締まらないのかなんか知らないけれど、高音をいくら抑えようと、また、低音をいくら増強しようと何しようと、トンコンいじっただけでは、締まりなく腰のない低音に変わりはないようで、だいたい音色そのものが全然違うのだし、デシベルに、おそらく上下の差があまりにあり過ぎてのことなのだろう。特に、バスドラムのパーンと弾けるような、かつての河合奈保子らの音とは、次元がまるっきり異なり、ゆうゆのやたらめっちゃ綺麗な音?も、いじればいじるほど、やたら汚れちまって再現のしようもなく、とても無理だった。
ゆうゆのソロ・アルバムも、やたらめっちゃ個性的で、これはこれで非常に捨てがたく、決してわるくはないのだけれど、デジタルのやたらめっちゃ綺麗な音?と、アナログとのあまりの違いを、いやっ!というほど見せつけられては、どうにもこうにも、おもしろい!としか言いようがなく、喜ぶべきかも、悲しむべきかも、なんだかわけわからない、何とも奇妙なひとときなのだった。


2021/09/15 辺見マリ

NHKーFMで、歌謡スクランブル「辺見マリ作品集」を聴いた。辺見マリで思い出したが、そういえば、かつて協働社のレコード売り場でも、何の曲だったか、流れていて、唯一ヒットした《経験》の、「♪やめて〜」もへったくれもクソったれもないもので、ただ、何の曲だったのかが知りたくて、そのためにわざわざ今日聴いたのだが、その前に、・・

当時、協働社デパート4階のオーディオ・コーナーで、確か、トリオだったと思うが、スピーカーは「JLー700」のホーン型ツイーターで、その頃ハヤリの、いかにも廉価モデルらしいシステム・コンポから、ただ豊かさだけが取り柄みたいなわりと分厚いサウンドで、西城秀樹の《ブルースカイブルー》が、とにかく豊かに響いていたのを思い出す。この機種をお持ちだった方には誠に申し訳ないのだが、そのシステム・コンポからは、何の魅力も欲しさも感じなかった。

しかるのち、いつも通り、1階のレコード売り場へと直行。辺見マリの、おそらく今日聴いた《Good-byeあばよ》だったのかどうか!? スピーカーもまた、パイオニア「CSー610」だったのかどうか!?今もって不明なのだが、高音は、ごく控え目ながらも明るく、磨き抜かれたナイフのような切れ味鋭い重低音が、さらに、僕を徹底的に魅了し、徹底的に狂わせたのだった。小型のテクニクス「SB−X01」で難なく再現できるようになった今となっては、ナイフだろうとノコギリだろうと何だろうと、どうでもいいことなのだが、何よりレコード売り場の古くさいスピーカーのステレオサウンドと、4階でのいかにも真新しいシステム・コンポとの対比が、非常に興味深かった。いずれ、新機種を蹴落としてしまうくらい、レコード売り場のステレオサウンドがいかに強烈で凄まじいものだったのか、これで、たぶんおわかりいただけたかと思う。

帰宅後、あのナイフのような切れ味がどうしても忘れられなくて、マイ・コンポでも何とか再現できないものかと、他の曲で試みたのだが、G・イコライザー使っても何しても、なかなか上手くいかなくて、かなり苦戦したのを覚えている。とにかくしゃくだった。


2021/12/15 永井真理子

またも遅まきながら恐縮するが、先だってのNHK−FM歌謡スクランブル「ぬくもりラブソング」で、永井真理子の《ZUTTO》を久々に聴いたとたん、感動でゾクゾクっときて、

涙がドッとあふれ出た!

・・と言うのも、ボーイッシュでたいへん清潔感にあふれた、という印象で非常に好感の持てる永井真理子の、言わずと知られたこの大ヒット曲に僕なりのちょっとしたエピソードがあって、
30年近く前に、とある雑貨屋でおぼろげに耳にし、それから数年くらい経ったある日、FMから再び流れてくるも、しばらくは曲名もアーチスト名もずっとわからず・・。そうしたのち、とある楽器屋の店員さんから教わってやっとの思いで解明した、この《ZUTTO》という曲は、僕にとってずっとずっと遠回りの、ずっとずっと特別な曲なのだった。
また、その帰りに中古屋で思いもかけず運よく、普通3千円はするところ、たった300円の超お買い得CD「バラード・セレクション」を見つけ入手できたのだが、やー、あの時は本当に嬉しかったなぁ。実は、この曲が流行っていた頃の僕はといえば、詳しくは恥ずかしくてとても言えないが、大変なスランプ状態にあって、もはや《ZUTTO》の歌どころでない、とにかくツラくて何がなんだかわけわからず、特に92年の年なんてのは、本当にツラ〜イ、ツラ〜イ、ずっとずっとツライだけの、そんなどうしようもない日々がずっと続いたのだった。ウィキペディアによると、NHK紅白にも出たらしいのだが、もちろん見た記憶もない。
そんなこんなで、翌年あたりから徐々にツラさから解放されていくのだけれど、まさか静岡県御殿場の出身だったとは!? 今日はじめて知って、これにもまた今さらながらに、びっくり! またもゾクゾクっときてしまった。
いずれ、先だってのFMでは、季節に合わせたのか、珍しくXmasバージョンのヤツだったのだが、どちらにせよ素晴らしい大ヒット曲に変わりはなく、たった300円の「バラード・セレクション」ながら《ZUTTO》はもとより、すでに懐かしい思い出と化していて、自分にとってもお気に入りの曲ばかりがぎっしり詰まったずっとずっと特別な素晴らしいアルバムであることには違いない。ちなみにサウンド的には、最高1位を獲得した「WASHING」アルバムなど、「バラード・セレクション」ともまたひと味違って、80年代アーティストらのCDと比べても、低音はなぜか控えめでハイ上がりの傾向が強く、この人らしいすこぶる元気のいい爽やかなサウンドが味わえる。・・・
ってことで、そうした風変わりな経緯あって、おもむろにキーを叩きたくなったしだいである。


2022/02/06 化け物!?

誰とは言わないけれど、歌謡界には、僕自身の好みとまるでかけ離れた、まさに化け物めいた、もしくは非常に怖そうな、鬼みたいな女性大物歌手が二人ばかりおった。もうすでにお亡くなりになってしまったが、片や青森県出身の、片や神奈川県出身で、二人ともさすがに、歌は誰よりも抜群に上手かった。と言えば、もう誰だかお気づきだろう。ほかにも、その歌声を聴くと、耳だけでなく、部屋中腐っちまいそうな、まったく好みでない歌手が若干名いるけれど、それはともかくとして、・・・

それとは別に、いつまで経っても何ら変わらない、それこそ化け物みたいな歌手が数名おられるわけだが、中でも、

♪くもりガラスを 手で拭いて〜

で、たいへんお馴染みの演歌歌手、大川栄策のオッサン!あの方も本当に、中身はどうだか知らないけれど、とにかく鼻のデカいことこの上なく、面構えも40年くらい前とほとんど同じなのではあるまいか。ただただ驚きである。

また、さらなる化け物といえば、なんたって忘れてならないのが畠山みどり嬢!・・僕など物心ついたあたりからTVにかじりついて見ていたものだが、そういえば、当時は紙テープ投げが流行っていて、しかし、時代的にすっかり古くなり過ぎ完全に忘れ去られてしまった感がある。僕がザッと見た限り、あの御方こそ、どうやら化け物の中の化け物!と言えそうで、デビューしてすでに60年にもなるけれど、いったい何食べて生きているのか? あたかも仮面でもかぶっているかのごとく、歌う姿など少しも変わらず、まったく当時のままではないか。

そしてまた別の、フォーク界でのイルカお嬢や、南こうせつのオッサンなんかも、もはや結構な年齢なのだろうけれど、わりと変わらなかったりする。

それと、今の世の中、整形女が決して少なくない中、皮肉ながらも弘田三枝子嬢なんかは、歌の文句にもある通りの、

♪顔も 見たくないほど〜

で、この方も2020年にすでに亡くなられたそうなので、この際、勝手気ままに言わせていただくが、もっとも、その歌に合わせて整形しちまったのかどうか、それは知らない。まさにホコリにまみれた人形みたいな・・いや、表情のまったくないロボットみたいに引きつった顔!?で、それこそ顔も見たくない、紛れもなく根っからの化け物というに相応しく、当初、いかにも風変わりでサル顔みたいな外人さんに憧れたのかどうか知らないけれど、いい気になって異国人のマネなんかしてるよってからにしてからに、まったく!整形なんかしているから、歳をとるにつれ、ついには、あんな化け物みたいな見っともないツラになっちまったんだぜ、きっと!いい加減バチ当たったんじゃねーの!?って言いたくもなるのだが、整形しないほうがよっぽど可愛かったのに・・などと、整形前の顔をぼんやり思い浮かべるのもむなしく、たまに懐メロとかに出ているのを見ると、歌そのものはおろか、化け物っていうより、すっかり変わり果てたそのサル顔めがけ、僕なんか辺り構わず、つい不満をぶちまけたくなるのであった。






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