クラシック音楽堂


媒体がLPレコードからCDへと移り変わって、早35年。しかし、すごい扱いやすくて便利な時代になったものだなぁと感心しつつ、僕には、実は前々からちょっとした夢があって・・・というのも、インテリアもしっかり考えながら、いわば音楽室のような、時には好きな指揮者の写真など飾ったりしてクラシック音楽堂らしき部屋作りに向け、絶対に飽きないものを!と、念には念を入れ、気に入ったCDばかりを長いことせっせと買い集めてきたのはいいけれど、しかし・・・
LPレコードを含め、ド名曲といわれるクラシック曲はほぼ一応網羅したものの、ヒット曲とか、わりと個性的なものばかりを集めてきたせいか、または、聴き過ぎがたたったのか知らないけれど、JーPOPはおろか、さしものクラシックの名盤さえもいつしか次々と飽きてしまって(って、たまに聴いているが)、おまけに、途中でクラシックの要となるモーツァルトは苦手になるし、列車のガタゴトCD買い込むととたんに列車キチガイにはなっちまうし、追い打ちかけるように、ついにはPC時代がやってきて、もはや音楽堂どころの沙汰でない、予想もしなかった事態が起きてしまう。そうかと思えば、中には、なんだかわけわからず手当たりしだいに買った「吹奏楽名曲コレクション」のほうが、むしろ皮肉にも、わりと飽きずに長持ちしていたり。時々聴く数枚のフォープレイ以外は、ほぼホッタラカシ。そんなCD棚もいつしか化石みたいになっちまって、・・スズメの涙ほどのコレクションでは、やっぱどうにもこうにも。音楽堂というにはまだまだ程遠いらしい。
また、いくら好きな曲だからと言って、また、めっちゃ聴き比べが面白いからと、モントゥーからオザワからブーレーズからアバドからデイヴィスからムーティからデュトワからシャイーからゲルギエフからカンブルランからストラビンスキー自作自演の果てまで、《春の祭典》のCDばかりバカみたいにたくさん並べて、クラシック音楽堂でござる!もないものだと思うし、あまりにも片寄りすぎだし、規模もいたって小さすぎ。
それならいっそ、スズメの涙もインテリアもクソ喰らえ!で、部屋がCDで満杯になるくらい、クラシックに限らず何から何まで、買って、買って、買って、買って、手当たりしだい買いまくって、とにかくどっさり買い込まないと耳も追いつかない気がするのだけれど、しかし・・・
たとえスズメの涙でも、自分にとって、れっきとした大切なコレクションなのだからして決して捨てたもんじゃないと思うし、それに、コレクションってのはまったく、いくら集めても、集めても、集めても、集めても、キリがないもので、これ以上増やしたって、どうせまたすぐに飽きてしまうだろうし、それにまた近ごろは、なぜかしら買う意欲もイマイチで、ネットやフュージョンの出現もあって、音楽堂作りの夢もすっかり遠のいてしまったし、入手見込みのCDもまったくないわけではないのだが、もはやどうにもこうにも。伝統的クラシック音楽堂とは言っても、なんたって最先端のPCやジャズ・フュージョンには到底かなうまい。仮に、CDで満杯になったらなったで、それこそゴミ箱状態になっちまって、どこやったっけなぁ!?って感じで、たった1枚探すのにめちゃくちゃ苦労するだけだろうし、やっぱ「スズメの涙」くらいがいちばん無難かな、と。いずれにせよ、音楽堂を拵えるとは言っても、なかなか面倒ではあるようだ。

そんなわけで、先ほどのフォープレイの、中でももっともお気に入りの「イエス・プリーズ」アルバムを久々に取り出し、聴いてみたが、・・・

癒される~~! フォープレイ、すごくいい!

やっぱ久々に聴くからいいんだろな、きっと。もっとも、天井のテクニクス「SB-X01」だからこそ余計に映えるんだろうけれど、しかしこのアルバム、何度聴いてきたことか!?いまだに飽きがこない。ややもすると、そのうちホッタラカシになるかもしれないけれど、あたかも抽象絵画のごとく、てんでんばらばらで自由奔放に奏でられたこのアルバムは、少しくらい音がズレても何らお構いなしで、手もとにある他のフュージョン・サウンドとは、ちとわけが違う。音響を超えた、もはや思い出や懐かしさで、何度聴いても飽きないのは、きっと思い出や懐かしさのせいに違いなく、《春の祭典》のごとく思い出や懐かしさになってしまえば、もう占めたもの。某クラシック曲や某フュージョンみたいに、そうは廃れないだろう。(2021/08/29)






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