気ままにオト伝 3 (オトキチ日記より)



2022/04/18 久々に

河合奈保子のドーナツ盤を取り出して、聴いた。

♪ああ 恋は恋は 不思議なキャンディ・・・

いつも通り天井のテクニクス「SB-X01」と、ヤマハ「AX-596」の特殊ラウドネスを「+7」までかけての、中でも《キャンディ・ラブ》での憧れの協働社レコード売り場のごとく多少くぐもったボーカルはもとより、空から降ってくるようなバスドラムの、ガガーン!とくる強烈なサウンドがたまらない。
これ、まさしく実体験のようでいて、協働社の音って確かこんなだったっけなぁと、いつも追体験ふうになってしまうのが何ともしゃくなのだが、ならば、実際の協働社レコード売り場ではいったいどんなふうなサウンドだったのやら!?・・などと、今さら思案に暮れてもどうにもならないし、ひょっとしたら今より以上に、もっともっともっともっと凄まじかったのかもしれないけれど、河合奈保子はもとより、・・あぁ、協働社に似ても似なくても、明けても暮れてもただひたすら鳴らしていたいぜ、協働社、協働社、協働社、協働社! そんなキチガイになりたい時もたまにはあるものさ。

2022/04/20 テクニクス vs ヤマハ

恥を忍んで今あらためて思うに、CDバカとは言っても、別に、バカになりたくてCD集めたわけでは決してなく、たまたまバカになっちまったというか、聴きたい曲を求めたら自然に集まってバカになっちまったわけで、なんか、またしてもバカバカと、バカばっかり並べてまことに恐縮だけど、しかし・・・
だいぶ前に、自分を「CDバカ」と称したものの、タカが200枚かそこらのCDではまだまだバカというには程遠く、されど、ひとつひとつが大事なお宝には違いなく、そんなんで、CDバカでござる!もないものだと思うし、世の中には、部屋中がCDで、足の踏み場もないくらいワンサカあふれかえっている非常におめでたいオタクだっておられるわけであるからして、それに比べりゃ、自分のなんて片隅の棚にちょこちょこっと並べてあるだけで、ちょっとやそっとじゃまだまだ序の口、って気がするのだけれど、それよりも何よりも、

♪あなたのこころの 真ん中に・・・

きょうもまた河合奈保子《B面:あなたはロミオ》のドーナツ盤を取り出して聴いたのだけど、河合奈保子の抜群の歌唱力にもまして、かつて協働社で聴けたわけでもないにもかかわらず、って、協働社ではいったいどんな響き方をしたのか、本当はものすごーく聴きたかったのだが、CDだろうとドーナツだろうと何だろうと、自分はとにかく、協働社レコード売り場のステレオサウンドそっくりのバスドラまみれに、ただひたすらなっていたい!協働社の音をただ再現したいだけなのだった。

ところで昨年の夏、突然の電源切れから、どういうわけだか知らぬ間に回復していた寝床のパイオニア「A-40AE」アンプだけれど、・・・
ここで、NHK-FMで夜のクラシック番組を聴いていて、洋室から寝床へと移ったときに、ふと気づいたのだが、洋室のテクニクス「SB-X01」と、寝床のヤマハ「NS-1000MM」スピーカーでは、当たり前だけど、やっぱどこか違うなぁ!と。もっとも、なるべく型破りでシッチャカメッチャカな変わった音がしたほうがいいに決まっているし、まったく同じ音がしたのでは、「NS-1000MM」を大枚叩いて買った甲斐がなかったというもので本当に困るのだけど、・・
テクニクスがきわめて乾いた感じで自然ながらも分厚く多少くぐもって聴こえているのに対し、ヤマハでは、パイオニアの新アンプの影響もあって・・いや、これがパイオニアの特質なのか、これも憧れの協働社と似て非なるサウンドというべきか、ラウドネスかけても何してもめっぽう明るく、瑞々しくまろやかで、中音域がヤケに張り出して、まさにクラシックに最適ともいえそうなのだけど、はたして喜ぶべきか、悲しむべきか!? そうしためっぽう明るい音ももちろんキライでないし、むしろ好きなほうなのだけど、おもしろいことに「NS-1000MM」は、不思議と、協働社の音では決してない! テクニクス「SB-X01」とはエライ違いで、協働社の音の再現にはとうてい向いてないということ。そうしみじみ実感したのだった。

2022/04/28 高田みづえ

NHK-FM「歌謡スクランブル」で高田みづえ作品集を聴いた。どの曲もわるくないけれど、僕のいちばんのお気に入りが《花しぐれ》で、手もとにもカセットテープはあるものの、本当に久しぶりだった。いったい若島津親方とは、今も仲良く元気でやっておられるんだろうか。
ともかく、いつも通り特殊ラウドネスを使い、かつての憧れの協働社レコード売り場となるべくそっくりの音質で聴いたのだが、例の3曲目《パープル・シャドウ》で、中高域あたりがもう少し迫力あった気がするものの、懐かしさと相まって、いきなりゾクゾクッ!と鳥肌立って、次の《女ともだち》で涙がドッとあふれ出て、《潮騒のメロディー》でどうにか気を取り直したのだった。
しかし、別に《パープルシャドウ》に限ったことではないけれど、協働社でのステレオサウンドがあまりに衝撃的だったためか、歌詞の内容がいまだまったくつかめてないのである。本当に面目ない。
なので、しゃくなのであらためてレコード・ジャケットを取り出し、おもむろに目を通してみたのだが・・・

♪心にしみてる紫の影 しみるわ紫の影・・・

しみる、しみるとは申しても、僕なんか、むしろ協働社のあのブライトで強烈なバスドラがいまだ心に染みてしかたなく、っていうか、耳にこびりついていながら、いくら再現しても再現しきれず、四苦八苦!で、一応キチガイ沙汰というブログの想定になっているのだけれど、やー、それにしても今さらながらに歌詞の意味を知って、感動で再び、ゾクゾクッ!ときてしまった。

ところで、インスタントコーヒーはいつもAGF「マキシム」を試行錯誤を繰り返しながら、アイスカフェオレふうにして飲んでいるのだけれど、到底かなわないと思うのが、スーパーでもよく見かける何の変哲もない普通のミルクコーヒー! たまに飲むけれど、確かに美味い! 美味いことは美味いのだけど、香料とやらが若干クセモノで、身体にもあまり良くなさそうな気がして、・・それならピュアなインスタントのほうがよっぽどマシ!? でも、あのミルクコーヒーの味ってなかなか出せないんだよなぁ、ちょっとしゃくだけど。

2022/04/30 夏の扉

昨日の出来事でゴメンしていただくが、NHK-FMで「昭和歌謡三昧」を、前半は少しだけ、後半はほとんど?聴いた。前半はなんやら古い曲ばかりで今ひとつ好みに合わず。しかるのち後半は、寝床のヤマハ「NS-1000MM」でもって、好みに合ってきたものの、ちょっと古いGSの曲も、低音がもうひとつ物足りなくて、少しばかり悩みはじめた。「NS-10Ⅿ」とか、「S-X4」とか、さもなくば「4312Ⅿ」とか!? もうちょっとデカいスピーカー持ち込めばどうだったかな!?とか何とか、後悔と思案の、しまくりだったのだけど、いざ、80年代ヒット曲に差しかかると、好みもピッタシではないが、合ってきたらしく、

♪髪を切った私に 違う人みたいと・・

いきなりボンボン!鳴ってきて、そうした低音不足の不満もいっぺんに吹き飛んで、JBLの低音もデカいもへったくれもあったもんじゃないといった感じ。寝床で聴くJ-POPはかなり久しぶりだけど、洋室のテクニクス「SB-X01」にしろ、茶の間のオンキョー・ミニコンポにしろ、どうにもこもりがちなのに対し、「NS-1000MM」の音のバランスの良さはいうまでもなく、ボーカルが、もはや喧しいくらいに明るく、めちゃくちゃキレイ! これだと、今から寝るというのに、いっぺんに目が覚めちまいそうな?で、もっとも、クリアーな音質のパイオニア「A-40AE」のおかげでもあるのだろうけれど、「NS-1000MM」の、高音用が1.5センチドーム型でござるとは申しても、スコーカーも2.5センチで至って小振りだし、ツィータはツィータでも、ほぼスーパーツィータに近いのではなかろうか。しかし、松田聖子の《夏の扉》は本当に久々だった。ひと頃はファンになりかけ夢中でよく聴いたっけ。
そうこうしていると、そろそろ眠くなってきたし、何やらユーミンの歌が聞こえてきたので、やにわに電源を切って・・寝た。ワケは前にも述べた通り。あまり書くと、ファンから苦情が飛んでくるといけないので、今日はこのへんで失敬する。

2022/05/14 ふたつの《心の愛》

またも昨夜の出来事で恐縮するも、寝床でK-mixラジオを聴いたのだが、これもまたクリアーな音質のパイオニア「A-40AE」の影響だろうか!?・・いや、さすが「NS-1000MM」の影響も多分にあるのだろうけれど、高域の切れの良さといい、ステレオ感の美しさといい、なんともはや、雑音まじりの佐野元春の曲にメチャのめり込みつつ、次の「小椋佳の歌とともに」番組での、

♪ I just called to say I love you …
「電話で 愛してるって伝えたかった ただそれだけ・・」

スティーヴィー・ワンダーの《心の愛》では思わずボリュームを上げ、しみじみと聴き入ってしまった。
ただ、室内アンテナなのでどうしても雑音が入ってしまって決してクリアーな音質とは言えないのだけど、それでも普段の洋室の、ヤマハ「AX-596」ではもう少しカサカサした感じの《心の愛》だったはずで、一方、寝床のパイオニア「A-40AE」とヤマハ「NS-1000MM」との組み合わせならではの、言わば、高低ともにチキバン!チキバン!素晴らしくよく鳴るといった印象で、またひと味違った瑞々しい《心の愛》を聴くことができ、オーディオのおもしろさをも存分に味わうことができたのだった。

さらに、しかる後、おもむろにCDのライナー・ノートを取り出し、あらためてじっくり目を通してみたのだが、・・当たり前だけど、そのほとんどがスティーヴィー自身がプロデュース&アレンジしたとのことで、しかし、メチャクチャ大したものゾ! そして、《心の愛》の歌詞の意味がほぼハッキリすると、何やらチキバンどころの沙汰でなく、いきなりジワ~っときて、泣けた! 今まで、いい曲だなぁと思って、ただ何とは無しに聴いていたスティーヴィー屈指の名曲!? いや、もはや人類の宝と言ってもいいのかもしれないけれど、そういう意味の歌だったのかと、またあらためて感動したし、誠に面目ないながら、歌詞の意味も、今、ほぼ初めてわかったしだい。
ちなみに、スティーヴィー・ワンダーと言えば、僕自身はなんたって《マスター・ブラスター》から始まった、きわめて思い出深い曲なわけだけど、他のJ-POPとゴチャ混ぜにしながらも、FMからエアチェック。協働社のステレオサウンドに憧れを抱きつつ、よく鳴らしたっけ。

2022/05/25 協働社そっくり!?

いよいよ夏ってことでやたら暑くなってきた今日この頃、みなさんはいかがお過ごしだろうか? 自分は何せ、いまだ洋室のパイオニア「CS-F700」スピーカーが、本当にくだらないことなのだが、十分に中型でデカいはずなのに、どうにもチッポケで中途半端に思えてしょうがなく、また、見るからにカッコイイはずなのに、カッコイイとも感じられなくなる有様で、とにかく闇雲に、それ以上バカデカいのが欲しくてたまらなくなる始末。肝心の音のほうはどうでもいいらしく、本当は、デザイン的に完璧といえる1ランク上のパイオニア「CS-F900」が欲しいだけなのかもしれないけれど、新品だったからこそ憧れも募るのであって、今さら何を言うか?という感じ。悔しさのあまり、「CS-F900」を見返してやろうとでもいうのだろうか!?・・もはやそんな時代でもなかろうに。まったく何考えているのやら!? 自分で自分がわからなくなってしまう。
それはともかく、そんなことをよそに、いつもは、天井のテクニクス「SB-X01」で聴いていて、別にグレているわけではないけれど、クラシックとか、確かに、音が抜群にいいからにほかならず、何よりも、憧れの協働社レコード売り場のステレオサウンドもそっくり再現できるのであるからして、まことに喜ばしいことではないか。・・が、しかしである。

♪あした私は 旅に出ます・・・

これも40年くらいも前の、衝撃浴びた憧れの協働社レコード売り場だからこそ言えることなのだけど、そのうち、あわや協働社の魅力ってどんなだったのかさえも忘れてしまいそうな近ごろ、協働社のサウンドを再現していると、それなりにかなり疑問に感じることがあって、その「そっくり」こそが問題なのではないか!?と。道理で、音がヤケにこもると思ったら、特殊ラウドネスを、どうやら必要以上に多くかけ過ぎていたらしい。先ほど、向谷実のラジオ番組で狩人の《あずさ2号》を聴いたのだけど、やはり「+3」くらいがちょうどいいらしい。・・ってことで、ラウドネスのツマミを回しつつ、わけわからないながら薄々感じていたことだけど、協働社デパートと、ここ洋室では、響き方があまりに違いすぎてまったく再現できていないのでは!?と、あらためて思い知らされた。
デパートでは、おそらくそうとうの大音量で鳴っていたのに違いなく、もしもデパートとほぼ同じ大音量で鳴らそうものなら、そんな音、ここ洋室じゃとてもとても、そっくりだなんてとんでもなく、もちろんラウドネスもトンコンも何もかもクソ喰らえで、喧しくて喧しくて!聴いていられないだろう、と察した。まぁ、そっくりには作れるのだろうけれど、まったく同じ音にするというのは、だいたいシステムがまったく異なる以上、どう工夫したところで所詮ムリなことなのだ!とわかって、ちょっとガックリ落ち込んでしまった。・・と言ってそんなに気にしているわけではなく、今は、ただクラシック音楽さえマトモに鳴ってくれれば、それで十分かな、と。

2022/05/27 出だしのトランペットが!?

モーリス・ラヴェルと言えば、《ダフニスとクロエ》も確かに有名だけど、でも、なんたって《ボレロ》だろう。クラシック界では名曲数々ある中、ラヴェルもまた、さすがオケの魔術師といわれただけあって、すこぶる上手い曲作るものだと僕もつくづく感心するのだけれど、先日もまたNHK-FMでドホナーニの演奏で聴いてどうにもじっとしていられず、指揮マネしながら暴れまくってしまった。気分は爽快だった。
手もとには、他にアンセルメやクリュイタンスのテープと、VHSビデオにもふたつばかり録画したのがあるものの、すっかり古くなってしまい、まったく聴けないわけではないけれど、デュトワかマリナーか、はたまた先日聴いたドホナーニか、と、いつかCDでも買おう、買おうと思いながら、あまりにも有名曲であるゆえ、いつだって買えるさ、ってくらいの調子で、なんかついつい買いそびれてしまった気がする。

それはそうと、問題は、先の「同じ音にならない」との理由でちょっと落ち込んでいた協働社デパートのレコード売り場のことだけど、さしもの協働社のステレオサウンドも、今思い返しても、バカに喧しかったのは、ばんばひろふみの《SACHIKO》と、久保田早紀の《異邦人》くらいで、それほど喧しく超大音量で鳴っていたのを聴いた記憶はないし、それにしても、ばんばの曲だけは、バカに喧しかったなぁ。さしもの協働社も正直どこがいいのかわからず、スピーカー真下に立ち尽くし、かなりオロオロした覚えがあるけれど、あまりの喧しさで、まったく憧れのサウンドもクソもあったもんじゃないって感じだったから。
また、いくらシステムが違うといっても、デパートの広い店内と室内とで、響き方にそんなに差があるわけでもなし。どうやら僕はとんだ勘違いをしていたらしい。っていうか、考えすぎていたようだ。

♪雪解け間近の 北の空に向かい・・・

いまだ歌詞の意味もろくにわからず、たまに鳴らしている山口百恵の《いい日旅立ち》は、かつて協働社でもかかっていて、だからこそ無理にでも鳴らすのだが、ボーカルやバスドラはともかく、出だしのトランペットの音がすこぶる艶やかだったのがとても印象に残っていて、きょうもまた天井のテクニクス「SB-X01」+ヤマハ「AX-596」で、別に大音量にしなくても、その感じがすこぶる艶やかに、そっくりそのまま再現できたし、ほぼ同じ音が作れたではないか!?本当に、何をそんなに血迷っていたのだろうか、と。自分でも不思議に思うのだけれど、ただ、もう少し欲を言えば、デパート特有の反響しない音も再現できたら文句なしなのだが、あいにくアンプとの相性もあって、反響しない音を作るためのG・イコライザーがまったく使えない状態。実際この《いい日旅立ち》も、はたして反響しない音で鳴っていたのかどうか?あまり覚えていないし、これもヤマハ「AX-596」のハイパワーのおかげか、あれだけ再現できたのだから、もはや反響音にこだわる必要もなくなったのではないか、と思う。

2022/05/29 わずかに小さい!?

またも前々回の続きで、しかも何度も同じこと繰り返して誠に恐縮だけど、パイオニア「CS-F700」スピーカーが、いくらチッポケだ、チッポケだ、チッポケだと繰り返し申してみても、これはまだ学生だった時分、音楽室で、先に見たり聴いたりした1ランク上の「CS-F900」と比べてのことであって、それほど音に差がない!と、すでにわかっていても尚のこと、チッポケだと口惜しがるのも当然だし、しかたあるまい。言わば、「CS-F700」がわずかながら小さいのに対し、確かに

わずかにデカかった、「CS-F900」スピーカー ‼

では、なぜ初めから、わずかにデカイ「CS-F900」を選ばなかったのか!? それは、わずかにデカイなんて思ってもいなかったし、システムコンポ『プロジェクト700』を購入する前は、「なんか濁った感じがするなぁ!」と。無響室だったせいもあって全然いいと思わなかったのも確かで、あとで接続ミスである自分のステレオと聴き比べ、憎らしいくらいにいい音!と思えてくるのだけれど、音楽室のヤツと同じのは欲しくなかったというか、1ランク上のシステムコンポ『プロジェクト900』の、いかにも高級そうな「SA-8800Ⅱ」アンプのこんちきしょーめ!がまた、ツマミ類がやたらゴチャゴチャ付いていてからにしてからにしてから、どうにも面倒くさそうだったというか、同じのでは面白くなかったからなのだ。
また、こんなにも後々まで悩むんだったら、いっそのこと、まったく別のシステム・コンポを選べばよかったのだろうけれど、また違った悩みが発生したに違いない。

それよりも、自分の「CS-F700」付属のシステム・コンポ購入後、チッポケどころの沙汰でなく、接続ミスで不完全のままそれから1年くらいが過ぎ、衝撃の協働社「CS-E600」?と出くわすと、メーカーはもちろん、大きさもなんと、高さを除いて、幅と奥行きがほぼ同じだったのがちょっと意外でびっくりしてしまったのだけど、だいぶ後に、目分量で測ったので、これは明らか。
そんなふうに考えると、のちに正常に戻った「CS-F700」も、チッポケどころか、マンザラ捨てたものではなく、サウンドも何もかも十分すぎるくらいなのだが、ただ、現時点で不思議なのは、ヤマハ「AX-596」があまりに高能率だからかもしれないけれど、皮肉にも、「CS-F700」より、これこそマジに小型でチッポケすぎるテクニクス「SB-X01」のほうが、きっと音色そのものが協働社に似ているのだろう、ずっと協働社のステレオサウンドらしく鳴ってくれるのであるからして、チッポケな「SB-X01」スピーカーとはいえ、意外にもワイドで堂々としているし、本当に有難いことだと言わねばなるまい。なんかまたもわけわからない文書になってしまったみたいで誠に申し訳ない。

2022/06/11 想い出の《白鳥の湖》

またも思い出話で恐縮するが、僕がまだ中学生だった頃、チャイコフスキーのバレエ《白鳥の湖》をはじめとするクラシック名曲の数々を、学校のあの旧音楽室での、セパレートステレオ(?)でガンガン聴かされたのを今も懐かしく思い出すのだけれど、それほど優秀なステレオだったのだろうか!?とにかくその響きがたまらなくバカみたいに良くて、めちゃくちゃライヴに響く音楽室だったのだから、なおさらのこと。加えて、うちら音楽のM先生、レコードクリーナーでもってスプレーのニオイをまた、たまらなくバカみたいに漂わせてからに、まさしく理想のサウンドだったといえる・・のかも。

そして、そんな思い出の《白鳥の湖》を再現すべく、洋室のパイオニア「CS-F700」スピーカーでもって、あらためてラザレフ盤を取り出し聴いてみたのだけれど、まさしくあの音ふたたび!といった感じ。ただし、あまりに喧しいので、特殊ラウドネスを「+4」にして聴いたのだけど、何より旧音楽室のごとく、すこぶるクリアーな音なのであるからして、少なくともデッドな新音楽室での、1ランク上の「CS-F900」の音では決してない。

気を良くしたついでに、協働社のレコード売り場でもかかった山口百恵の《いい日旅立ち》を聴いてみたのだけれど、これもまた、まさしくあの音! ソファーに座った状態で聴いたのだが、出だしのトランペットもバスドラムも何もかも協働社そっくりの音で鳴ってきた。ただし協働社と違って、スピーカーの間隔がせまく、音が広がらないのが難点。いずれ、「CS-F700」の実力というか、素晴らしさをまたあらためて思い知らされた。したがって、元のテクニクス「SB-X01」になかなか戻せなくなる始末。

しかるのち、慣れとは本当に恐ろしいもので、必ずしも小型のスピーカーがベストというわけではないのだろうけれど、「CS-F700」ではゆったりくつろげないというか、どうしても身構えてしまうというか、だいたい、ジャンルに合わせ、もしくは気分に合わせつつ、スピーカーをその都度切り替えて聴くのがどうにも苦手で、常にどちらかに統一していないと気が済まないのであるからして、もはや異常なほど神経質だというか、さーて、どっちで聴こうか?ああだ、こうだと、考えすぎがたたった挙句ノイローゼになってついには寝つけなくなることもあるのであるからして、やむなくまた元のテクニクス「SB-X01」へと、戻した。

2022/06/23 ライバル関係!?

「弟がライバルに育ってきた」という、『気ままにオト画像』ページに、僕が勝手に載せたダイヤトーン・スピーカーの広告ではないけれど、すごい好きなんだよなぁ、この広告。
本当に勝手気ままで申し訳ないが、僕が思うに、手もとのパイオニアの「CS-F700」と、1ランク上の「CS-F900」とで、やっぱ同じようにライバル関係にあったのではないかと想像するのだけど、どうだろう? だとしたら大変おもしろく興味深いことではないか!? 
片や25センチ3ウエイの、片や30センチ4ウエイで、大きさのわずかな違いも見逃したくないこれら二つの機種を、パイオニア社ではいったいどういった意図で製作されたのか、だいたい察しはつくけれど、詳しくは知らない。ただ、かつての音楽室で、「CS-F900」がどんな音だったのか、しっかり聴き分けてきたからこそ言えることなのだけど、言わば無響室での、いくぶん濁った高音もさら構わず、決していいわけではなかった「CS-F900」が豊麗さ極まりない音をただひたすら目指したのだとしたら、

「CS-F700」の音は、確かにいい!

いや、実際「900」に負けず劣らずいいはずだ。いいとしておこう。と、そう自分に言い聞かせつつ、デザインのほうもあらためて眺めると、見る角度によっては妙にカッコよかったりして、わけて大きさも何もかも憧れの協働社レコード売り場「CS-E600(?)」のヤツとほぼ似た作りだとしたなら、よりクリアーで引き締まった低音が自慢の「CS-F700」サウンドにますますもって目が離せない、いや、耳が離せなくなる始末。
・・とは申しても、今さら「700」だ、「900」だと喚いてみたところでどうなるわけでもなし。そういう時代が時代だったからこそメチャクチャ感激もしたし、オーディオにも夢中になれたので、ましてや、ヤマハ「AX-596」のハイパワー・アンプのおかげで、元のシステム・コンポ「PROJECTー700」並みか、それ以上に鳴ってくれるテクニクス「SB-X01」小型スピーカーの出現で、さらなるクリアーなサウンドに耳を奪われるようになっては、もはや中型スピーカーの出番もめっきり減ってしまった気がするのだけれど、でも、巷では案外、今の時代だからこそ、アナログレコードとか、カセットテープとか、そういうレトロな機材が復活し、逆にモテハヤされているのかもしれない。
本当に、何かというとYouTubeだ、インスタだ、なんだかんだと騒いでいる今日、まったくもってシスコンなどは遠く及ばず、スピーカーも、「700」も「900」もへったくれもクソもあったもんじゃねーぞなもし。





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